江村信一は9才のときに大阪天王寺区で榊莫山氏に絵と書を学ぶ。
江村信一の父親は、共同通信社の記者をしながら中国の満州でパッケージデザインなどの仕事もしていました。
大阪の雑貨メーカーのマークデザイン1952年頃
江村信一の母親、江村俊子(東京在住)は1955年~1964年大阪でカルチャーセンター『生活文化教室』を主宰。約500名の会員を集めていました。
当時ではめずらしいことで、その道の先駆者でもあるそうです。
また、福祉活動にも積極的に参加していて、新聞やTVなどにもよく出ていました。